証券会社を習得

本来は不況を生み出す構造を変えて、好況を作り出そうという目的であったものが、いつの間にか、悪者探しそのものが目的になってくる。
最近の大蔵官僚やN銀行員へのバッシングも、このような面が顕在化したものである。
そここで非難されている過剰接待は、好況期にはおそらく今よりも大的に行われていたであろう。
ところが好況期には、そんなことは問題にもならず、彼らはすばらしい能力を持っていると絶賛されていた。
不況になって急激に人の非難の的となり、次と逮捕者や自殺者までが出る悲惨な状況となっている。
「平成の大獄」と鄭楡する者すらある。
実際には景気とは何の関係もないのに、人は景気がよければ英雄を捜し、景気が悪ければ悪者を捜し回って、自分の置かれている状況に納得しているのである。
もちろん、国家公務員やそれに準ずる者が接待にどっぷり浸かっていることは、景気のよい悪いにかかわらず、決して許されるべきものではない。
ここで問題にしているのは、好況期には見過ごされることが、不況期には逮捕者が出るほど徹底的に非難されるという事実である。
このような社会的風潮は、政府や官僚、N銀行員に次のような対応をとらせることになろう。
すなわち不況期には何か積極的な対策をやろうとすれば不正だ、無駄遣いだといわれる危険がある。
そうなれば出る杭は打たれるから、政府もO蔵省もせいぜい倹約して、何もせずにおとなしくしておこうと思うであろう。
また、N銀もなるべく金融機関と会わず、ひたすら物価安定だけを考えて、静かにして嵐が過ぎ去るのを待とうとする。
逆に好況期には、英雄視されるから、接待も増え、いろいろな政策を積極的に打って、民間活動を妨げることになりかねない。
ここのこれまでの議論からわかるように、実際は、好況期には公共部門にはなるべく活動を制限してもらい、不況期には民間活動が停滞した部門に対して、積極的な政策を次と考えてもらいたいのである。
このように、景気のよいときの英雄探しと悪いときの悪者探しは、景気の循環を拡大して、かえって無駄を増やしてしまう。
それにもかかわらず、やっている国民も政府も、まったくその自覚が無く、悪者探しに飽きた頃にようやく景気が回復し始めれば、あのとき血を流して構造改革したと胸を張る。
これでは、我は景気の過熱.停滞という循環から、永久に抜け出せない。
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